情報リテラシーとディジタルディバイド(情報格差)について

こんにちはPC School Linkです。秋もだいぶ近づき、朝晩がずいぶん涼しくなりました。日中はまだ汗ばむ日がありますが、熱中症にはお気をつけ下さい。

さて、今回のテーマは「情報リテラシーとディジタルディバイド(情報格差)」について触れていきつつ私見を述べる記事です。

日本でも「情報」についての教育が盛んになりました。これはひとえにパソコンが各家庭に普及して年齢に問わず触れる機会が増えたことと社会教育上パソコンが最低限扱えるようになることは最低限の料理ができることや最低限の計算問題が解ける、といったことと同列に必要だと判断されたためかと思います。もちろん反論意見があることは重々承知しています。しかし、パソコンに触れる年齢が下がっていることや社会に出たときにパソコンスキルがある程度会ったほうが良いという意見に対してはそこまで異論がないのではないでしょうか?

とは言え、今回は情報教育起源論の回ではありませんので話を進めさせていただきます。

まず少し訂正と定義付けをさせて下さい。最初に「情報リテラシー」と言いましたが、現在は「ICTリテラシー」という表現が使用されています。この「ICT」ですが、日本語では「通信情報技術」と言います。かつてインターネットはいまほどに普及もしておらず携帯電話でもインターネットができませんでしたが、現在はパソコンやタブレット、スマートフォンは常時インターネットに接続していて当たり前の日本です。それもあって、「情報リテラシー」ではなく、「ICTリテラシー」が使われるようになったのかと思います。推測ではありますが、かつてのメディアリテラシーなどもこの「ICTリテラシー」に含まれているのではないでしょうか?仮にそうであってあとしてもここでは区別してお話をさせていただこうと思います。

というわけでこの記事では次のように定義させていただきます。

「情報リテラシー」

 コンピュータ(パソコンやタブレット、スマートフォンなどの情報機器)を適切に操作し、目的とする情報を入手できるスキル、入手した情報を鵜呑みにせずに懐疑的に判断できるスキル、入手した情報または自身の発信した情報が他者にどのような影響を与えるか想像できるスキル

一旦、この記事ではかつての情報リテラシーとメディアリテラシーをミックスしたような定義とさせていただきます。

さて、ここでこの記事を読んでいただいている皆様へ質問です。

「情報リテラシーを誰から教わりましたか?」

中には「学校で教わった」という方や「親や親戚、兄弟から教わった」、「独学で勉強した」、「過去の失敗から学んだ」という様々な身につけ方をされているかと思います。もちろんどの方法で身につけたから良いとか悪いとかではありません。情報リテラシーを身につける上でなによりも大事なのは「良いこと」と「悪いこと」をしっかりと理解することなのです。これが片方しか理解できていないと大変です。

例えば「良いこと」だけを理解していたとします。「パソコンやスマホは簡単に情報が集められる。流れている情報は正しいものだ」という(少し極端ですが)良いことだけを理解していたとします。そうすると流れている情報に振り回されたりその情報の良し悪しを判断できなくなります。そればかりでなく、嘘の情報の騙されたり、犯罪に巻き込まれる恐れもあります。また、「みんな好き勝手に情報を発信しているのだから自分も好き勝手やっていい」という間違った理解をしていると最悪のケースで著作権や肖像権の侵害、名誉毀損罪で訴えられることさえあります。さらに自分の発言で炎上した場合も最悪のケースの1つです。最高潮まで炎上すると自分の個人情報はおろか家族の個人情報までネットで公開されます。ちなみにここで言う「個人情報」には過去にどこの学校を卒業したのか、どこの塾に通っていたのか、当時だれと交際していたのか、乗ってる車の車種、飼ってるペットの名前まで含まれます。

少し話は逸れますが、かつて北海道の某アパレルショップで店員と店長を土下座させ、その写真をインターネットに公開した女性がいました。ネットでは大炎上し、すぐさまネットユーザーによって個人情報が特定されました。個人名、住所、家族の名前、乗ってる車の車種や色、最寄りのバス停の名前、住所、勤務先などがネットに晒されました。他にも大阪の茨木市のとあるコンビニエンスストアで複数人のグループが店長に迫る動画を面白がって投稿した所、大炎上してすぐさま個人情報の特定が始まりました。主犯とされた人は自宅住所や名前だけでなく、お子さんの写真までネットに晒されました。それだけではなく、その事件に関わった人の中には配偶者(か恋人かは忘れましたが)のFaceBookが特定されただけではなく、その方の勤務先まで特定されたそうです。

また、災害時には(助けや支援の声を含めて)現状をより多くの人に届けたいとSNSに投稿する方もいらっしゃいます。東日本大震災(2011年3月)では実際に助けや支援の声をTwitterなどのSNSに投稿した方が数多くいらっしゃいます。しかし、この発信された全ての情報が100%本当に助けや支援を望む声だったのかというとそうではありません。非常に残念ではありますが、中には「面白いから」「ふざけて・・・」という理由でありもしない嘘の助けや支援の声を投稿した心無い人も居ます。こうした嘘の情報が流れると本当に助けたいと思う人はどれが本当に助けの必要な声なのか判断がつきません。この他にもあまりに暑いからといって業務用冷凍庫に入った写真を投稿したり、飲食店にある調味料容器に直接口をつけたが写真を投稿したりするいわゆる「バカッター」(こうした画像がTwitterに多く投稿されたことからこの名称が広まりました)が投稿後に炎上したことは言うまでもありませんし、被害を受けた企業が法的処置(損害賠償請求や名誉毀損など)を執って本人たちに莫大な請求がされたことも言うまでもありません。

現代ではSNSの存在は非常に大きな存在になっています。有効に使えばどんな機関よりもリアルタイム性の高い情報伝達ツールになるでしょう。しかし、理解していただきたいのは「個人が発信する情報は何一つ精査されていない生情報であり、発信者の主観100%で発信されている」ということです。これが公的な機関や企業などの情報であればどういう言い回しをすれば誤解されないかなど表現方法にも配慮されて発信されますが、個人発信の情報はそれを確認してくれる人がいません。したがって本人がやりたいように発信されています。中には事実誤認や誤解を招く言い回しがされています。だからこそ炎上するのです。

代わって「悪いこと」だけを理解して場合です。先程のお話のようにSNSで炎上した人のケースが印象に残りすぎたり、過敏にネットに流れる情報は嘘だらけだと理解して近づこうとしなかった場合です。この場合は大きなダメージを受けることはありません。その代わりにインターネットが授けてくれる恩恵を受けることもできません。もちろん「それでも良いんだ」という方はそれでも良いのですが・・・・。例えば現在多くのクーポンやお店の予約がインターネット経由になっています。そればかりではなく、ポイントカードですらもスマホのアプリになっているところも多くあります。新幹線や飛行機、映画の予約もほとんどがインターネットです。インターネットに近づかいないということはこうした恩恵も受け取れないということです。

こうした「良いこと」と「悪いこと」をしっかりと理解し、情報機器を正しく使って情報収集・情報発信をすることが「情報リテラシー」にはとても大切なのです。ただ、人がこうした「良いこと」と「悪いこと」を両方とも教わる場は学校のなどの教育の場がほとんどです。もちろん中にはご家族でしっかり勉強しているご家庭やご親戚・兄弟に詳し人がいてしっかり教えてもらったという方もいらっしゃると思いますので学校などの教育の場でしか学べないわけではありません。

もう一つタイトルに有る「ディジタルディバイド」についてもお話をさせていただこうと思います。

「ディジタルディバイド」とは「情報格差」という意味です。つまり情報リテラシーが低かったりや情報教育を十分に受けていないことで生じる格差のことです。例えば高校や大学で情報教育をしっかりと受けたて十分なスキルを身につけたことで高い年収を得られたり欲しい情報も適切に調べて得ることができたり、IT機器を使いこなせたりします。一方で家庭の事情や環境、本人の意志などで十分な教育を受けられなかった(受けなかった)ことで年収が低かったり、IT機器を使いこなせなかったりします。このような格差を「ディジタルディバイド(情報格差)」と言います。

先程のSNSで炎上した例をとって見てますが、情報教育をしっかりと受けて情報リテラシーもしっかりと身についていれば「面白半分で人を痛めつけたり辱めたり迷惑をかける画像や動画をアップすれば人々の反感を買って炎上するかもしれない」と判断することができるしょう。

また、合わせて注意していただきたいのは「写真は瞬間を切り取ったものである」ということです。どういうことかというと、例えばシルエット写真で人を刃物で襲おうとしている写真があったとします。刃物は刃先だけが見えていて手元は見えません。写っている人は驚いたポーズをしています。これだけを見れば襲われている写真と判断するでしょう。しかし、ライトを当ててみると刃物に見えたのは尖った靴の先、驚いたように見えたポーズは少し離れた場所でたまたまそうしたポーズをとっていた人が写り込んだだけ。このように写真はカメラの枠内の一瞬を切り取っただけのものです。本来はカメラの枠外について知らなければ正しい判断はできません。けれどこのような写真を投稿した場合、人はこの写真だけを判断して反応します。自分が投稿したものが何も知らない他人にはどう見えるかという想像力も必要です。

ITやSNSだけではなく、人に対する言動も含めてですが、「世界は発信者がどんな情報を発信するかではなく、受け手がどう受け止めるかでできている」ということを知っていて下さい。受け手がどう受け止めるかを気にして発信する側は「どこまでの情報を発信しようか」、「どんな言い方で発信しようか」、「どういう言い方なら自分と同じように理解してくれるだろうか」ということを考えるのです。

今回も長くなってしまいましたがお読み頂きありがとうございました。また、Linkではこうした内容の講座もご希望があればワークショップ形式で単発実施も可能ですのでご相談下さい。